10月26日、ニューヨークの国連本部の広島・長崎原爆常設展示場において、日本政府代表部と国連事務局(軍縮部、広報局)が協力し、国連軍縮週間にあわせてニューヨークを訪問している非核特使による被爆体験の証言を共有するイベントが開催されました。
このイベントは、日本が重視してきている軍縮・不拡散教育の促進に向けた努力の一つとして、これまで行っている、被爆者による証言の多言語化及び若い世代への継承の一環として行われているもので、今回国連の第一委員会において、軍縮・不拡散の問題が議論されている機会に、各国関係者に、被爆者の体験を直接聞いてもらうことを目的として開催されたものです。非核特使として委嘱された被爆者の方々が、国連の場でその体験を証言されるのは、今回がはじめてです。
今回、非核特使に委嘱され、国連を訪れた据石和さんと節子・サーローさんは、いずれも1945年8月6日に広島で被爆し、その後米国をはじめ世界各地において、ご自分の経験を証言するとともに、核兵器の悲惨さや平和の尊さを訴えてきました。お二人ともこれまでの国際社会に対する非核への理解の増進に対する功績が認められ、本年外務大臣表彰を受けられました。
会合においては冒頭、兒玉和夫大使による開会の挨拶に続き、ホッペ国連軍縮担当次席上級代表が二人の非核特使を歓迎するとともに、核軍縮の重要性を訴える挨拶を行いました。引き続き、据石さんとサーローさんが、それぞれの被爆体験を参加者に紹介しました。
18歳のときに広島で被爆した据石さんは、8月6日の朝に家族で被爆したときの状況を紹介するとともに、その後米国に移った後、自分の被爆体験に向き合うことになったこと、さらに海外在住の被爆者が医療支援を受けられるように努力してきたことを紹介しました。据石さんは、ご自分のことを、みんなにとっての「おばあちゃん(grandma)」であると述べつつ、若者に対して体験を共有していくことの大切さや、お互いを憎むのではなく、思いやり愛し合うことを通じてのみ平和が生まれることを訴えました。
サーローさんは、13歳のときに同級生と被爆した時の経験を話し、崩れ落ちた建物の中から何とか脱出し、水を求める人々に対し、同級生と二人でその人達の口をしめらせることしかできなかったことを語りました。また、その後カナダのトロントに移り、若者に核兵器の悲惨さを教えるためには、教育制度を改善する必要があると考え、地元の人々と努力してきた経緯を紹介すると共に、核兵器のない世界を実現するためには、直ちに行動する必要があることを力強く聴衆に訴えかけました。
お二人の話に会場は静まりかえり、原爆が投下された時の様子が語られる際には、出席者一人一人が脳裏に当時の姿を思い浮かべている様子でした。証言後の質疑応答の際には、参加者からは非常に力強い証言を聞けたこと、二人の非核特使が悲劇的な体験を乗り越えて、核兵器の悲惨さを訴えるために活動されていることに賞賛の声が相次ぎました。会合は、ジュネーブにある軍縮会議代表部において日本の軍縮外交を担う、天野万利大使による閉会の挨拶をもって、盛況のうちに終了しました。
会合には、各国の外交官、国連事務局の関係者、軍縮・不拡散、平和活動に関与するNGOの関係者が多数出席するとともに、報道関係者も多く取材に訪れました。
今回の行事は、国連において軍縮・不拡散及び人権や開発の問題に関与する外交官や国連職員、NGOの関係者に対し、非核特使として訪問した被爆者の経験を直接聴いてもらう貴重な機会となりました。また、日本の軍縮・不拡散教育に向けた努力を国連関係者に示すだけでなく、目に見える形で、軍縮・不拡散教育の内容を示し、核軍縮の重要性を再認識させる上でも有意義であったといえます。なお、今回の非核特使のニューヨーク訪問に際しては、国連だけでなく、地元ニューヨーク近郊の小学校、コロンビア大学での講演会なども開催し、できるだけ多くの人々に被爆体験を直接聴いてもらうことができたことも有意義でした。
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